2011年12月31日

やられた(4)…愛すべき作品 イン・ハー・シューズ/キャメロン・ディアス おまけ

四〜五年前、敬愛する島さんと、キャメロン・ディアスの評価が分かれたけれど、このインハー・シューズを観て後のキャメロン・ディアス評はどうなったか、それを書いておきたいと思います。

キャメロン・ディアスは女優として、道を少し違えてしまったかもしれません。

「チャーリーズ・エンジェル」
でギャラが20億円を突破し、トップ女優の位置にいるとはいえ、
いやそれ故に、相変わらず

「ナイト&デイ」や
「グリーン・ホーネット」
といった作品を中心にしてしまっています。

イン・ハー・シューズの中でみたキャメロン・ディアスの演技力は、なかなかのものでした。もちろん監督の力と共演者たちの力のおかげも大きいのですけど…


イン・ハー・シューズ

を観て、キャメロン・ディアスの評価が変わったのか?

確かに変わりました。

女優として見直した、という表現がぴったりです。

ただし、彼女というキャラクターそのものは、私にはまだ苦手なままです(^^ゞ
以上








やられた(3)…愛すべき作品 イン・ハー・シューズ/キャメロン・ディアス

「イン・ハー・シューズ」
はとてもたくさんの人たちに観てもらいたい作品です。

このサイトを観てくれている方たちには、特にそう思います。

この作品の中には、愛すべき人物たちが、とてもたくさん登場します。


キャメロン・ディアスの姉の役トニ・コレットが、とてもすてきです。


シックス・センスで、コール少年の母親役をしていた人です。彼女は、その作品で、アカデミー助演女優賞にノミネートされた実力派です。

自由奔放に生きる妹、マギー(キャメロン・ディアス)に翻弄されながら、地味に生きる女性、姉ローズを演じます。
写真右側の女性です。


キャメロン・ディアスに「本を読んでくれないか」と頼む盲目の元大学教授、ノーマン・ロイド(右でベッドに横たわっている人物)。
彼もすごくいい。



彼は、俳優だけでなく、TV 刑事コロンボの監督もしてもいるんですね。

それから、偉大なる女優シャーリーン・マクレーン。


マギーとローズのおばあちゃん役を演じています。
とてもキュートなおばあちゃんです。
彼女は、スピリチャル系(あの世とか霊がついているとか)の本をいろいろ出しているので、基本的なところでは眉唾で話を聞かなくてはいけないのですけど、女優としては偉大です。

歴史上に名を残すような人物が協力する監督というのは、多くありません。

監督はカーティス・ハンソン。

L.A.コンフィデンシャルの監督です。

その作品ではアカデミーの脚色賞をもらっています。

中身が分からないように、でも、観てほしくて、こういう書き方になっているのですけど、この作品は、映画通の私が、心から勧める作品の一つです。

2011年が終わるまで、まだ間に合います。
今年のラストに…

あるいは、明日2012年の始まりの日に、ぜひ観て欲しい作品です。

以上。

おまけとして、キャメロン・ディアス評に続けます。







やられた(2)…愛すべき作品 イン・ハー・シューズ/キャメロン・ディアス

さて、前回の続き

優れた映画批評家「島さん」と「キャメロン・ディアス」の作品に話が及んだ時の事です。

私が
「メリーに首ったけ」の頃から、わたしはキャメロン・ディアスは苦手なのです」

と言うと

「彼女は、イン・ハー・シューズで、とてもいい味出しているんだよ…ぜひ観てよ」

と島さんが言うのです。

「いや、もしその映画がよくって、キャメロン・ディアスを気に入っちゃうのも何なので遠慮しときますよ(^^」

と答えて、その後すぐだったのでしょうねきっと…

私のパソコンが壊れてしまい、中のデータが取り出せず、島さんとはそれきりになったのです。


以来、ずっと、島さんが語った

イン・ハー・シューズ

の事が頭にあります。
もちろん
「あんな事いったものの、島さんの強いおすすめなんだから観なきゃな」
とか思って、DVDは四〜五年前に買ってあったのです。

さて、いよいよ、その作品の話に入ろうと思います。

私は、このサイト「樹楽庵」の2011年初めに、「ランディ・パウシュ」の事を書きました。


「まだ今年は始まったばかりだけれど、この動画が、これから一年私がみるどの動画よりも、一番感動的な、一番優れたものだと思います」
というような内容だったと思います。


今年2011年の初頭に観たそのパウシュの動画も、
今、その最後の日に観た「イン・ハー・シューズ」
も、とてもすばらしい作品です。

一年の最後に、こういう映画を観る事ができて、とても嬉しい気持ちです。

ここらで、項を改めます。


やられた(1)…愛すべき作品 イン・ハー・シューズ/キャメロン・ディアス ①

この項を綴る時に、敬愛すべき兄貴「島さん」の事から書かせてください。

わたしの映画評はかなり辛口で、というか、とても正直に書くので
「それだから気に入っている」
という人も多いのですけど、その辛口・正直評は、以前メールでやりとりしていた「島さん」という人物のおかげでもあります。

島さんは、わたしのwebサイトに書く映画の話を気に入ってくれて、メールをくれた人物の一人です。
お互いすぐに打ち解けて、いろいろな作品について語りあっていました。

島さんの語る映画評にはとても教えられる事が多くて、私よりもずっと好き嫌いのハッキリしている人でした。

彼は、国際会議などが開催される事前準備でいろいろな国を飛び回っていた人物したが、海外からもよくメールが届いていました。


そのやりとりの中の一つが、スピルバーグ評です。
 スピルバーグの「激突」という作品の話になった時、わたしが「彼は人々がどういうところで興奮するのか、すごく的確につかんでいると思います」
と書くと、すかさず

「最近作のミュンヘンを観たかい?…どう感じた?」

と聞いてきます。


「スピルバーグのもつユダヤ人の血があの重さを醸し出しているのだと思う」と返すと

「あの女性のスパイの処刑シーンを観たかい?
あんな描き方ができる人物を、ぼくは認めない。
どうして、あのストーリーにあんなシーンを出す
必要性があるんだ!」

きっぱりと言い切る… 憤りと説得力を重ねた言葉でした。

 どこかにも書いたのですけど、かつてのサイトもメールも既にアクセス・キーを無くしているので、島さんとのコンタクトの方法は無いのですけど、どこかで、わたしのこのサイトを目にする機会があったら、ぜひ連絡を下さい。
心からまっています。

はじめが長くなりました。
これから書くのは、島さんと語り合った中の一つ
「キャメロン・ディアス評」です。

(2)につづく

2011年12月30日

NHK BS「世界を変えた日 全編後編」&「ターゲット ビンラディン 全編後編」/ 一年で一番長くテレビを観た日

私は一週間合計してもテレビを30分も見ない生活をしています。

見なくても何にも困りませんし、
どこかのファースト・フードで一番売れているのがどういう商品なのか時間をかけて教えられたら逆に困ってしまいます。

ニュースくらいは見る事があるのですけど、あれは見ているというより、自宅で食事中にTVが鳴っているというカンジです。
ホントに必要だと思う情報は、テレビから流される、強いバイアスがかかったものではなく、インターネットで探ります。

そういう私が年末の大仕事の合間にフト着けたTV番組に釘付けになってしまいました。
12月29日(木)放映のNHK・BS「世界を変えた日 全編後編」と
「ターゲット ビンラディン 全編後編」 です。

19:00から22:00までですから、ほぼ3時間テレビの前に座っていた事になりますから、一気に半年分テレビを見ました、というカンジです。




NHKが制作したのではなくて、BBC制作なのでしょう。
とにかく取材がしっかりしていました。
当時関わった重要人物から直接その時の様子・カンジ・考えを探りだしているのです。
見事です。

もちろん、都合の悪い情報は伏せられているでしょう。
9.11の時にブッシュ大統領はじめ、いろいろな人物がいかに堂々と振る舞ったかというエピソードがたくさんちりばめられていますから。
でも、それでも日本がつくる番組より遥かによい。
格が何段も違うというカンジです。

BBCがきっと福島原発についても取材してあると思う(予想)ので、ぜひそれを流してもらいたいものです。

今回のものも再放送だったと思います。
さらに放送がある時には、テレビの前に座ってみることを少しお勧めします。

映画並みとはいいませんけど、それに迫る勢いがあります。
            以上

2011年12月25日

映画 リアル・スチール お勧めします! おすすめ

前回の<ミッション・インポッシブル4 ゴースト・プロトコル>を、お勧めしません、と書いたら、
「じゃあ年末、何見ようかな?」
というメールが届きました。

今なら<リアル・スチール>をお勧めします。

たいした事ないだろう…
と思っていたのですけど、ミッション・インポッシブル4 ゴースト・プロトコルの後は、もう観たいものがあまりなくて、妥協して映画館に入りました。

子役のダコタ・ゴヨが絶賛されています。

確かによい。

でも、ある意味、鼻につく演技も気になります。

そういうところをカバーしてあまりあるのが、ATOMを初めとする、ロボット達のリアルティーです。

ATOMが土から掘り出されて、リヤカーに載せられているシーンなど、明らかにCGでは表現できない、いい味が随所に出てきます。

アトムという名前自体、日本人のわれわれにはたまりませんし、初めに出て切るロボットのボディーには日本語がすごく目立つように描かれています。
監督・脚本家は日本の手塚治虫にかなり敬意を表してくれている事がはっきり分かります。

年末、時間ができたけど、映画は何を観たらいいのかなぁ…
と考えている皆さん
リアルスチールはいかがですか?

2011年12月24日

映画 ミッション・インポッシブル4 ゴースト・プロトコル/おすすめしません

やっと時間のやりくりができるようになって、「ゴースト・プロトコル/ミッション:インポッシブル4」を観た。

















正直に書きます。

期待はずれでした。

アクション的にも、映像の迫力を比較しても、2とか3の方がよかったです。

しかも、ストーリーが単調過ぎる。

3にもアカデミー賞レベルの実力派を持ってきていた(フィリップ・シーモア・ホフマン)のですけど、この4でもいい役者を持ってきています。

ジェレミー・レナー(右)です。


ハート・ロッカーでアカデミー賞を受賞した人物です。


ミッション4では、トム・クルーズと行動を共にする重要な役を演じたのですけど、これがもう全然よくない。


監督の演出がなってないのですね。


もっとずっと影響力・説得力のある演技ができる俳優なのにとても残念でした。


トム・クルーズ…そろそろ先が見えてきたか。

2011年12月17日

名言/走ることについて語るときに 僕の語ること 村上春樹 から


紙媒体をデジタル化する日々です。
もう既に数千冊はデジタル化して廃棄するという作業を繰り返してきたのですけど、デジタル化された文章を「読む」という時間はあまりとれません。

ただ時々、自分がメモしたページが見つかって、それをじっくり眺めたりします。


今日は

村上春樹 走ることについて語るときに 僕の語ること 
20Ю年6月10日 第1刷
文春文庫

という作品のページで目を休めました。
私の文字で


Pain is inevitable.
Suffering is optional.

という走り書きがあったからです。

<痛みは避けがたい。しかし苦しみは自らの選択>という意味になります。

なかなか味わいのある言葉だと思います。

そしてそれは、私がカウンセリングをする時に、時間をかけてクライエントさんに伝える内容でもあります。


村上春樹は、自らのマラソンの体験を元にこういう事を書いています。

-----
 あるときパリのホテルの部屋で寝ころんで、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙を読んでいたら、アフソン・ランナーの特集記事がたまたま載っていた。何人もの有名なマラソン・ランナーにインタビューして、彼らがレースの途中で、自らを叱咤激励するためにどんなマントラを頭の中で唱えているか、という質問をしていた。なかなか興味深い企画である。それを読むと、みんな本当にいろんなことを考えながら、42・195キロを走っているのだなあと感心してしまう。それだけフル・マラソンというのは過酷な競技なのだ。マントラでも唱えないことにはやっていけない。
 その中に一人、兄(その人もランナー)に教わった文句を、走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反郷しているというランナーがいた。Pain is inevitable. Suffering is optional.それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第ごということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
-----

Pain is inevitable.
 Suffering is optional.

 村上春樹のこの作品のタイトル「走ることについ語るときに 僕の語ること」は、妙に間延びしていてあまり好きではありません。
でも、この言葉は、なかなか味わいがあるなぁと思います。

 寒くなりました。
 クリスマスはもうすぐです^_^

2011年12月8日

映画館 宮古 おもしろい

宮古島の話を面白く読んで下さっている方達がたくさんいて嬉しいです( ´ ▽ ` )ノ

少し続けます…

宮古島でまじめでたのしいお仕事をこなしつつ、海へ連れてってもらい、映画館へ連れてってもらい、閉園間近の蝶園へ連れてってもらい etc…

さて、宮古の朝…

主催者の方が
「珈琲飲みます?」と嬉しい問いかけをしてくれたので
正直者の私は反射で
「はい( ´ ▽ ` )ノ」
と答えます。

すると
「じゃ、知り合いの喫茶店の店長さんに頼んでテイクアウトしてもらって海で乾杯しましょう」とおっしゃる。



黒糖工場の看板の喫茶店につき、珈琲を受け取ってくれて、うみへ。

宮古島の海は美しかった。

沖縄でも小宇利島へ渡る海は、それはそれは美しくて大好きなのですけど、曇っていたにもかかわらず、宮古島の海はきれいでした。


光の量は少ないのに、マリンブルーなんです。



さて、珈琲を取り出すと…

すばらしい。

わたしはまた宮古島が好きになってしまいました。
珈琲の入れ物が…

みそ汁のカップなんです。

なんて飾らない方達なのだろう…
「中身で勝負する」
それが宮古島魂と悟った次第。


前に書いた映画館のたどりつく前に、映画館の看板を見つけてパチリ!

「パイレーツ・オブ・カリビアンやってるんですねぇ」
と問うと
「いや、やってません。夏からずっとあの看板です」



すばらしき宮古島。
外見でなく中身で勝負する。
しかも看板と中身は思い切り違っているが気にしない。
問題にもなってない。

宮古島は奥がおもしろく深いのです。
また行かなくてはなりません。
       以上。

2011年12月6日

始まりが大好きな映画 love actually ラブ・アクチュアリー/映画レビュー/英語で英会話

数々の映画を観て来た中で、このラストはGoodだ、という作品はいくつもあります。
けれど「この始まりはGoodだ」という作品は、少ないのです。


その少ない中で、リーサル・ウェポン3の時限装置を外すシーンはスリリングで笑えます。






これから書く「ラブ・アクチュアリー/love actually」の始まりのシーンは、とてもすてきです。

こんなモノローグからスタートするのです。


Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrival's gate at Heathrow airport. 


General opinion started to make out that we're living in a world of hatred and greed. 


But I don't see that, seems to me that love is everywhere. 


Often it's not particularly dignified or newsworthy, but it's always there, fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends.

 When the plane hit the Twin Tower, as far as I know, none of the phone calls from people on board were messages of hate or revenge.


 They are all messages of love. If you look for it, I've got a sneaky feeling you'll find that love actually is all around.


そのモノローグの後ろに映し出される映像のすてきなこと…






訳してみますね…


Whenever I get gloomy with the state of the world, 
世の中の事に嫌気がさしてきたらいつも、
I think about the arrival's gate at Heathrow airport.
私はヒュースロー空港の到着ゲートを思い浮かべる。
 General opinion started to make out that we're living in a world of 
hatred and greed. 
我々は憎しみや強欲の世界に生きているのだと、人はいうけれど、
But I don't see that, seems to me that love is everywhere. 
わたしにはそうは見えない…愛がいろいろなところに満ちているのだと思う。
Often it's not particularly dignified or newsworthy, 
特に崇高なものでなく、ニュースになるというようなものではなくても、
but it's always there, fathers and sons, mothers and daughters, 
でもそこに愛はいつもある…父と息子、母と娘、
husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. 
夫と妻、ボーイフレンド、ガールフレンド、古き友…
When the plane hit the Twin Tower, as far as I know, 
ツインタワーに飛行機が激突した時でも、私が知る限りでは、
none of the phone calls from people on board were messages of hate or revenge.
乗客がかけた電話は、憎しみや復讐の内容ではなく、
 They are all messages of love. 
全て、愛のメッセージだった。
If you look for it,
周りを見渡してみれば、
 I've got a sneaky feeling you'll find that love actually is all around.
あなたもきっと、周りに愛が満ちている事に気づくのだと思う…




映画の中身は、複雑なシチュエーションも出たり、浅い展開の部分もあったりするで、評価は様々でしょうけど、いつか始まりの部分だけでも、観てみませんか。





2011年12月5日

偉大なる人間 まど・みちお / まど・みちお全詩集 / 百歳日記

私にとって、まど・みちおは「偉大なる人間」である。

「ぞうさん」
「やぎさんゆうびん」
「ともだちひゃくにんできるかな」

など、子ども達に親しまれる歌を世に送り出した人物でもあるけれど、それ以上に、年を重ねてもなお創作意欲を失わずに歩き続ける姿に感動する。
そして、子どものような純真な心で作品を生み出し続けているという事に感動する。
何より、自らの行動に対しても偽らず、まっすぐに前を向いて生きて行こうとする姿勢に感動する。

最近、まど・みちおの訃報が届くのではないかという気がしてならない。
偉大なる人物と同じ時を生きているうちに、この文章を書いておきたい。

私がまど・みちおを心底尊敬するようになったのは、彼の全作品集を出版したいと申し出た出版社に対して,彼が語った言葉に触れてからである。

彼は
「私は生涯で、戦争に賛成する詩を二編書いてしまった。私がそんな不完全な、弱い、ごまかしをする人間だという事を明らかにする意味でも、必ずその作品を探り当てて掲載してほしい」
と頼んだのです。

「まど・みちお前詩集 伊藤英治編 理論社」の「あとがきにかえて」にこうあります。
696ページからです。

 じつは私には戦争協力詩を書いたという記憶が全くなかったのですが、この二編のうちの一編「はるかなこだま」を、昨年三月初めて目にしました。梅花女子大の谷悦子さんが、原本とは別の印刷物に転載されているのをみつけて、そのコピーを送って下さったのです。まぎれもない拙作で、大ショックでした。


 しかし考えてみますと、私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。こういうのを書いていても不思議ではないと思われてきました。が、にもかかわらず私は戦前から、人間にかぎらず生き物のいのちは、何ものにも優先して守られなくてはならないと考えていました。戦後も、戦争への反省どころかひどい迷惑をかけた近隣諸国にお詫びも償いもしない政府のやり方に腹を立て続けてきました。また地元の「核兵器廃絶、軍縮をすすめる区民の会」だけでなく「アムネスティ・インターナショナル」や「キリスト教海外医療協力会」やその他この種のいくつもの会にも、誘われるままに参加しています。詩作のうえでも身辺の動植物を多くとりあげ、かれらのいのちの美しさをほめ、かれらに対する人間の横暴残虐を憤ってきました。


 つまり、一方で戦争協力詩を書いていながら、臆面もなくその反対の精神活動をしているわけです。これは私に戦争協力詩を書いたという意識がまるでなかったからですが、それは同時にすべてのことを本気でなく、上の空でやっている証拠になりますし、またそこには自分に大甘でひとさまにだけ厳しいという腐った心根も丸見えです。そしてとにかく戦争協力詩を書いたという厳然たる事実だけは動かせません。


 動顛した頭でどうすべきか考えましたが、昔のあのことの読者であった子供たちにお詫びを言おうにも、もう五十年経っています。懺悔も謝罪も何もかも、あまりに手遅れです。慙愧にたえません。言葉もありません、と私は私の中のはるかなところから、母のように私に注がれている視線に掌を合わせ、心を落ちつけました。


 そして結局この「はるかなこだま」を公表して、私のインチキぶり世にさらすことで、私を恕していただこうと考えました。本当に慙愧しているのなら、詩作の筆も絶って、山にでもこもるところでしょうが、あとで記しますように、私の中にはかすかながら私を庇いたい思いもあって、このような虫のいい対応を考えついた次第です。
 そこで私は、かねて詩稿が揃いしだい詩集に具体化の約束を頂いている童話屋さんに頼んで、「はるえなこだま」を同詩集に収録させてもらう了解をえました。 …続く…




 私はこういう人物が、同じ日本人である事を、とても誇りに思います。

私にとって、まど・みちおは、日本人の良心の代表でもあります。
その意味で、わたしにとってのまど・みちおは「偉大なる人間」なのです。

最近は、よく、まどさんの「百歳日記」を開いています。

名作です。

まどさんの命が、まだまだ続きますように。

樹楽庵

2011年12月3日

小説 13ヵ月と13週と13日と満月の夜 / 書評 /

コラム 映画にしても小説にしても、たいてい原書のタイトルの方がいいという話をした事があるのですけど、たまに日本人がつけたタイトルの方がいいなと思える作品もあります。




 アレックス シアラー 著13ヵ月と13週と13日と満月の夜という作品があります。


原題は「The lost」です。



そのまま訳すと「失われたもの」というタイトルになります。
それが「13ヵ月と13週と13日と満月の夜」と換えられて書店に並んだわけです。


 わたしの記念日が某月13日という事もあってか、その数字に違和感は全くなく、親近感のみで手にしました。


 本屋さんで1/3程は読み終わり、そのまま買って一気に読みました。


 小説に点数をつけるなんて大胆ですけど、私の辛口映画評の流れでつけてみると、6.4点(10点中)!
 しっかり友人におすすめしたい作品です。
 
 始まりの方の流れを少し書かせてください。


友達がなく寂しい思いをしているカーリーという女の子(小6くらいかな)が主人公。
ある日メレディスという不思議な女の子がカーリーのクラスに転校してくるのです。


メレディスは、なぜか自分から友だちを作ろうとせず、一人で本を読んだりして過ごしています…カーリーが話しかけても、Yes・Noの返事くらいで相手にしてくれません。


メレディスには必ず、朝老婆が学校に付き添い、夕方迎えにくるのです。
腰が曲がって、弱々しく歩く姿を何度かみているうちに、カーリーはその老婆に話しかけてみました。
そしてその老婆は驚くべき内容を語るのです。


「わたしはおばあちゃんの姿をしているけれど、そうじゃないの、わたしがメレディスという女の子なのよ。その体をあの魔女に盗まれてしまったの・・・あの魔女がわたしの全てを奪い取って私を召使いのように扱っているの。私をたすけて…」


カーリーはそっと二人の事を調べ始めます。さて、おばあちゃんの言うことは本当なのでしょうか?


 どきどきしながら話にのめり込んでいってしまいました。


 この<
13ヵ月と13週と13日と満月の夜>という言葉は重要なキとして作品に登場します。

「The lost/失われたもの」というタイトルで売り出されたよりも、きっと手に取る率が増えたはずです。

 しかもそのタイトルが、作品の重要なキーを表しているわけですから、日本の改訳の方が勝ちだと思います。


 沖縄でも秋は去り、冬の到来がハッキリしてきました。


 おコタにミカンで本を読みふけるのも一際たのしい今日この頃ですね。