2011年2月22日

情報の電子化と各国の民主化の動きは脳の進化の過程とも似て<必然>である

「探せない情報はゴミ以下である」
という情動に駆られたような言葉に心動かされた人たちが多いのに少し驚いています。
人生のかなりの時間を「あれがない、これがない」と探しまわっている現状を何とかしたいと始めたデジタル化計画なのですけど、これがかなりたのしいのです。

 雑誌や資料を切ることに最初のうちはためらいもあったのですけど、その都度に、スキャナーにはられた「探せない情報はゴミ以下である」という言葉に奮い立ち、ここ四五日でA4用紙の入る箱4~5箱くらいはデジタル化してしまっています。
一日一箱の割合です。

電子情報化するという事はつまり、友人たちとの情報の共有化にもつながります。
そして有用な知識はますます広まり、人々の知恵と勇気が高まっていくのです。

 ところで、わたしにはリビア・バーレーン・チュニジア・エジプトを初めとする「民主化」の動きが、「情報のデジタル化」と連動している必然的な流れと思えてなりません。

ある個人なり団体なりが情報を統制し、庶民がそれを共有化する事を妨げているという事は、つまり「探せない情報」化してしまっている事です。
必要な情報を入手してそれを利用する事は、たとえば脳の発達や進化の過程を見ても必然の流れなのです。そうやって生命というのはどんどん進化していったのです。それを押しとどめようとしても、結局は必然の流れに打ち負かされてしまうのです。

リビアが流血の事態だという事です。
独裁体制を守りたい側は、自分の命すら奪われかねないのですから、文字通り「必死」に弾圧して来ます。
悲しい事態です。
あのニュースの裏側で、涙を流してい人たちの事を思うと心が苦しくなります。

<民主化の流>れは<情報の共有化>と同じく種の進化・社会の進化の必然の流れであるという事を早く受け入れ、血の流される事態を回避して平和的にすすめる流れを形作らなくてはいけません。

この民主化の流れは必然であるにしても、「突然騒がれ始めた問題には気をつけて」に私が書いたように、何かに利用された動きではないか、という事は気をつけて観ていなければいけません。

それから、この必然の流れが、中国の民主化とどう絡んでいくかという流れもかなり重要です。
チベット自治区から炎が広がり、中国の民主化運動に発展する可能性もあるでしょう。
Googleを追い出した程の中国ですから、情報の統制は世界一とも言えるでしょう。その中国の圧力の前には民主化運動はカマキリのカマのようなものかもしれません。

わたしは私なりに予想をたてて眺めています。

みなさんの予想はどうでしょうか。

私個人の情報デジタル化から、世界の動きまで連動させた大風呂敷を広げたような話になりましたm(_ _)m