2011年2月14日

活字の電子化は必然である

私のブログへのリスポンス〈反応〉が結構来ています。

「わたしもやっています」
という事でいろいろ情報をくださったり、逆に
「本が裁断されて電子化される事に寂しさを感じる」
という言葉もありました。

活字中毒を自他共に認め、本だらけの人生を歩んでいる私も、同じく「寂しさ」を感じる今日この頃です。
けれど冷静に考えれば、電子化は必然の流れだと思います。
今、百科事典を購入してそれで調べようとする人は殆どいません。
ウィキペディアなりのネット上の電子化された百科事典がメインです。
あの二十巻から三十巻に及ぶ壁のような書物から例えば
「遺伝子」という項目を牽くのは大変な作業です。
第一に重い。

キーボードで探る「遺伝子」という情報からは、最新のデータだけでなく、その歴史、また画像の数々に加えて動画まで閲覧する事ができます。
しかもその検索に0.5秒程の時間しかかかりません。

これは、交通手段としての「かご」と「自動車」以上の違いがあるでしょう。
この流れはとめられません。

しかし、わたしは地図帳にマーカーで記しながら読んだ推理小説のわくわく感を一生忘れる事ができません。
オーストリアからスイスまでの逃避行で
「今、この道を逃げたんだ」
「警察はこの道を閉鎖してるんだ」
とドキドキしながら読んだものです。
この経験は宝物です。

インターネットでなら、実際にその道の画像も出てくるでしょう。
グーグルマップなら、実際自分で歩いているようにも眺める事ができます。

この二つの幸せ感を味わう事ができる今の時代は、幸せな時代だと思っています。
十年後の子ども達は、ほぼ電子化された情報の渦の中なのでしょうから。

情報はどんどん電子化されても、たとえば手に取れる「書籍」としての「本」は、数が激減することはあっても無くなることはないでしょう。
手にして線を引きつつ戻り、進み、そういうたのしさは秘伝のようなものとして残されていくに違いない。
出版社がダメになっても、プリンターで手に持てる本として作りだす事は、そう難しくないでしょうからね。