2010年12月9日

Books マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」早川書房  選択肢の重要さについて


ベスト・セラー本は、売れているうちはあまり手にしないようにしています。

たいしたことないのに騒がれたりするのも多いし、そういうのを読んで「つまらない」とか言うと、周りでキャーキャー騒いでいる人達を敵にしてしまう。

実際、「ハリー・ポッター、つまらなかった」とかつぶやいたおかげで、友人たちから冷たい目で見られたし、「水の力」とかいう怪しい本を科学的にやっつけたら、信じていた人たちが萎んじゃったし・・・
ま、それはそれでよいのだけど(^^

ところで、哲学的な書としてはかなりヒットしたサンデルのこの本は、知人がくれたので、しっかり読みました。いえ、正確には、読み始めました。

すると、1/3もいかないところで、本をどこに置いたのだかわからなくなっちゃって、そのうちにNHKが「サンデル 東大講義実況放送」というのをやったので、正座してそれを観た。
本とだいたい同じような内容なのだろう^_^;

結果として
「答えは見つからなくてもよい・・・考える事そのものが尊いのだ」
という論調のサンデルさんにはがっかりしてしまったな。

トロッコの問題も出てました。
「暴走するトロッコがもうすぐ目の前を通過する。そのトロッコの前方には5人がいて、このままだとトロッコにはねられて五人とも死んじゃう。
しかし、今なら自分のそばににいる一人をレーンの上に押し倒して、その人間が轢かれる事でトロッコの向きが変わって五人は助かる。でももちろん押し倒した一人は死んでしまうことになる。さて、一人を犠牲にして五人を救ったらよいのか、それとも自らは何もせず、五人を見殺しにすることとなるのか?」
そういう倫理学上の有名な問題。

 番組では東大生たちが、ああでもないこうでもないと熱心に語り合っているのだけど、
「選択肢をたてる事が決定的に重要だ」
という私からみると、問題の立て方自体がどうかしていると思う。
選択肢が二つ(五人を見殺しにする・一人を殺す)しかないという相手の土俵で考えるのがおかしい。

以前小学生(高学年)に同じような問題を投げ出した事があるのだけど、東大生(あるいはハーバード生)よりよっぽどまともな答えが返ってきた。
「作業現場なんだろうから大きな石くらい近くにあるでしょ、それを動かす」
とか誰かが言うと
「それなら、線路にコブシくらいの石をおいたら脱線するんじゃない?」
とか言ってくるし。
「おおーい、逃げろーって叫んで五人に知らせる」とか
とかいろいろ。

カウンセリングの勉強会などでも時々言うのだけど、
「二つしかないものは、イエスかノーかと問うようなもので、選択肢とは言えない。その二つ以外の別な選択肢がきっとみつかるはずだ」

だから、一人を殺すか五人を見殺しにするか、のどっちかを選べなんて言われて、その相手の情報(選択肢)だけで動きまわってはいけない。

私の師匠の板倉聖宣も、情報がハッキリしない土俵で相手の情報に踊らされるからとんでもないことになるんだよ。アメリカがイラクに攻めて行った時も、「大量破壊兵器がある」とかいう情報に踊らされて、いろんな国が追撃したではないか。だから、わかんない時に相手の情報に乗っかるな。わかんない時にはわかんない、という立場をとれ。
という。
鉄則だよね。

サンデルが、「さぁ、この二つから選びなさい・・・五人を見殺し? 一人を突き飛ばす?」と言ったら、
「私たちはもっと知恵があるので、別な選択肢を探します」
って答えたらよいのだ。あるいは、そんなヘンな問いを投げ出されてもわからないよ、って言っちゃえ。

話をもどして、私としては、こういう細かいことだけでなく、最初の方に書いた、サンデルの「とにかく考える事が重要だ」という考え方についての異義が決定的。
「考えればよい」というのは詭弁でしか無いと思う。
答えが見つからない事もあるのだから、それを、とにかく考える事が貴重なのだっていうのは、無謀だ。

今解ける問題・課題を見つけて解いていく。
世の中の人達が、えっ、そういう問題があったの? っていうような問題を、しかも解けそうな問題を探して、しかも解く。その流れの積み重ねの中で社会は良くなっていくのです。

〆切に追われているので、つづきはまたいずれ。