2010年4月18日

アリス・イン・ワンダーランド(3D)で3D作品について考えている

アリス・イン・ワンダーランド3D版を観た。
日曜の朝一番で9:00上映なのにほぼ満員。
こういうのはなかなかない・・・家族連れもいっぱいで、遊園地にいく感覚で来ているんだな、きっと(^^

映画は残念ながら、たいしたことはない。
3D版だろうが、平版だろうが、きっと同じ感想をもったと思う・・・つまり「ストーリー展開が雑すぎる」って。
名前忘れたけれど、あの恐ろしい虎と犬のまざったような怪物が、アリスの家来になるのシーンも「どうにかしてよ」と思ったし、アリスが最後の怪獣を倒すシーンも平板でありきたり。
3Dにすればなんとかなるって思ったんだろうか?

黒澤明も語っているけれど、映画の命は「脚本」ですよ。
むちゃな展開でも、迫力があればごまかせる、なんていうのは随分前の時代の事。
監督のティム・バートンさんに反省して頂きたいな。

さて、この頃大流行の3D映画について考えている。
何かというと、流行したものをこき下ろす人たちがいる。
iPhoneが流行した時にも、iPhoneの悪口をいろいろな人が書いていた。
これができない、あれもできない・・・、というように。
新幹線が出てきたときには、「あんなに速くてどうする」調の反論もあったという、それは今でもあるようだけど。
そういう、何かというと新しいものに反対する人たちに同調するようでいやなので、書いたり語ったりしていなかったのだけど、アバターの時から「3D映画」のマイナス面は気になっていた。

一つ目「画像が暗くなってしまうこと」
3Dで観るためのメガネが黒いでしょ、映像の波長をずらして目に入れるために、あのメガネをするワケだけど、そのせいで画像が全体として暗くなってしまうわけです。

二つ目「日本語吹き替え版になってしまうこと」
3D映像に集中してもらう意味だと思うけれど、字幕はつかない。つまり言葉を日本語に変換してしまっている。これはとても辛い。
アカデミー俳優たちが、一つのセリフを何度も何度もやり直し、何十回目にやっと「Ok」が出る、そのセリフが言えないために、その日の撮影は打ち切りで、翌日また撮り直すという事が当たり前の映画制作なのに、日本語吹き替えにする時はどうなのかというと、極端な話、お笑い芸人さんたちが二三回のやり直しで「Ok」をもらったりしている。言葉って、感情を乗せるとても大きなものなのにね。

三つ目「メガネが煩わしい」
メガネをかける習慣がない人にも煩わしいだろうけれど、わたしのように元々メガネをかけている人は、そのメガネの上に3Dメガネをかけるわけで、二重メガネになってしまう。

こんなところです。
それでもアバターレベルの作品なら、このマイナスを相殺しても観る価値ありだと思って、仲間たちに「観るべし」というメールをたくさん送ったけれど、このアリスのような作品がいろいろ出てくると、マイナスの方が大きくなって、まいってしまうな。