2010年4月21日

1Q84 Book3

村上さんの1Q84の三冊目が出た。
予約していなかったので、友人から廻って来たときにでも読むか、って思っていたのだけど、空港の帰り、南向けの本屋さんに立ち寄ったら一冊残っていたので入手・・・ラッキー(^^
この1Q84について書く前に村上春樹論を少し。

 わたしは7年くらい前から村上春樹はノーベル文学賞を取るぞ、と予想しているのだけど、ぜんぜん当たらない(^^;
で、しだいに、どうして村上春樹がノーベル文学賞を受賞できないのかが分かってきた。
村上春樹がノーベル文学賞を受賞するには、彼の文学の中に『人類の将来的な展望』が必要なのだ。
ノーベル賞自体がもともと<人類の進歩、発展に寄与する理想主義的、人道主義的な視点>をもっているわけで、文学賞についても、「感動的」「衝撃的」くらいでは受賞できないのだな、きっと。
為政者に抑圧された人々の悲惨な生活を表し、世界人類に平和の尊さを訴える、というような、人道主義的・理想主義的視点が重用なわけ。
するとわが村上さんには何があるのか・・・
もしかすると彼が数年前に傾倒し、わたしが「それでつまらなくなった」と感じた「オーム真理教問題」へのコミットは、ノーベル文学賞を意識した動きだったのかもしれないな。結局それはたいしたインパクトも与えず、本人もそれから次第に手を引いて、もとの村上ワールドが復活していったわけだけど、人道主義的・理想主義的視点は無くなっていった。それ故に、村上さんはノーベル文学賞を取れずにこれからも悶々と綴っていくことになる。

 一つの可能性は、広く日本の文学を見回してみても、村上さん以外に世界にアピールできる人がいない、ということだ。
「そろそろ日本からも文学賞を」という意識が、ノーベル文学賞選考委員の中に芽生えたら、その時には村上さんがGetするのではないかな。

さて「1Q84」について・・・
Book3で終わるという予想は、ページを開く前から私にはなかった。「きっと村上さん本人も、どこをどういうように納めていけば結末にたどり着く」という見通しが立っていないように思う。青豆にしても、教祖にしても、わたしの好きな「タマル」にしても、その翼の広げ方が半端で堅い。

パラレルな世界の中で、青豆と天吾とは、はぐれてしまい、天吾は自分の息子と二人、まるで自分の父と自分が母親に取り残されて過ごして来たように生きていく、という流れで終わっていくのだろうというのが私の予想なのだけど、それが外れているにしても、村上さんは、ハッピーエンドでこの小説を終わらせるはずがない。
何冊目で終わるのか・・・わたしの好きな4という数字の冊だろう。
このパラレルな世界がどんどん続いていったらあきちゃって、読者が離れてしまうもの。

村上春樹・・・現実の世界に足を据えたまま、不思議な世界へ連れ去ってしまう、得意まれなる筆力をもったすごい作家である。そのすごさは、ノーベル文学賞をとろうがとるまいが、変わらない。世界の文学者をあまねく並べても、彼のその魅力的な不思議な世界を生み出せる作家はいないだろう。彼の作品がダイレクトに読める時代にいる事は、幸せなことの一つである。